そんな課題認識で大丈夫か?→大丈夫だ問題ない→問題あった

リサーチ会社に入って振り返ると8年くらい経つのだと気づきまして、短いなぁとも感じますし、長いのかな?とも感じます。
おかげ様で社内外、業界内外で様々な方々のお話をうかがい、行動を拝見する機会に恵まれ、なんとかやっていけているのかな、と思います。


もともとデータ解析の仕事をしたくて、ユニークなマーケティングリサーチデータを豊富に持っている今の会社を受けました。
今思えば、そんな動機でよく入れてくれたもんだと(笑)
たぶん、今の入社基準だったら確実に落とされているでしょうね。。。


入社後に色々みるにつけて、「こうしたほうがいいんじゃないか」と思うことがありました。
指標の精度や統計的な処理の観点などが多かったと思います。
学生あがりですから、局所的な課題に目がいくわけです。
まぁ、大体がスルーされるわけで「なるほど、この程度なのかこの会社は」と思っていたこともありました。


しばらくたって、考慮する観点が増えていきます。そして、過去の先人がしてきた検討プロセスを見る機会が出てきます。
そうすると、なるほど、合理的な最適解として処理が決定されていることに気づきます。
それは局所最適なのかもしれませんが、少なくとも僕が考えるよりは優れた解でした。


「なんでこの解を先人が出したのか」


そこに対する興味・関心と分析、その上で改善であったり、新しい試みをする必要がある。
自分の謙虚さの欠如を恥じました。
謙虚さがなくても、多角的な視点で検討できる高い思考力があればいいように思いますが。
僕には・・・ね(笑)


こうした話も実は局所的な話で、抽象度を変えて色々な場所で同様のことが起きます。
とくに若手に限らず特定の分野の知識が豊富で、当該事象についての関与を始めるときには全体最適を考えずに、安易に局所最適を選んでしまうことが多いです。
いや、もちろん、僕も含めてです。
その中では、謙虚な人と高い思考力を持つ人が、当該事象での成果につながるアクションがとれているように感じています。
(もちろん実現するのに必要なチカラは無数にこれ以外に存在するわけですが。)
こうした機会は「専門家・ないしは社内における専門チーム」にはよくある状況で、そこで成果を出すためにはクリティカルな問題でしょう。


個人的には巷で謂われる「ビジネスにつながらないデータ解析者」が陥っているのも同様な状況と思っています。


僕自身もこのあたりは果てしなくまだまだで、本当にどうしようかと思うくらい(笑)
同時に、こうしたことを自分の周辺で見かける度に「できていない自分」が一体何ができようか、と思う訳です。