時間は作るもの

タイトルの言葉を久々に思い出しました。
これを初めて聞いたのは、大学院のとき。


僕の所属していたゼミの先輩方は本当に優秀な人が多くて、それも皆特色がありました。
当該分野について勉強熱心であることは共通しているのですが、カリスマ性がある人、とにかく明るくて・楽しい人、後輩の指導が非常に上手い人、孤高に自分を鍛え抜いている人。


その中に非常に『器用な』先輩がいました。
当該分野の理解力、アウトプットのスピードとクオリティは群を抜いていました。
難解な内容もわかりやすい文章にできる。
プログラムも得意だし、ハード関連にも強い。
それだけじゃなくて、難解な本から漫画まで相当広範囲の読書家で知識量もある。
ここまでいくと、才能だなぁ、と感じていました。


正直、スゴく忙しいゼミだったので、毎週毎週のアウトプットを出すのに僕などはヒーヒーいっていました。
そんな思いをしていたのは私だけじゃなくて、先輩(もしかしたら同期だったかもしれません)が「たまには遊びたいけど時間ねーなー」とボヤくことも。
そうそう、全く僕も同感でした。自分で選んだ道とは言え、たまにはね・・・。


そんなとき、先の『器用な』先輩が「時間はね、作るもんだよ」と冗談めかして呟きました。


そのときはその器用さを養うにはそういう考え方が重要なんだねぇ、と思った程度でした。


月日は流れて6年くらい。最近この言葉の意味が重く感じます。
「時間を作る」ということは、時間を作るに相当するものを選択する、ということです。極論、やらないことを決める、ということ。
無為に過ごすこともたまには必要ですが、時間を投資する対象を決めウチすること。
その先輩はそのことにとっくに気づいていたのかもしれません。


今からでも、遅くないかな、と最近考えています。


今日はここまで。